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前橋家庭裁判所 平成3年(家)52号 審判 1992年11月19日

申立人 山岡幹子

相手方 山岡孝一

主文

1  相手方は、申立人に対し、1724万円を支払え。

2  相手方は、申立人に対し、平成4年11月1日から離婚(又は別居状態の解消)が確定するまで毎月末日限り金35万円を支払え。

理由

第1申立ての趣旨及び実情

1  申立ての趣旨

(1)  相手方は、申立人に対し、平成2年7月11日以降の婚姻費用として、毎月金100万円を支払え。

(2)  相手方は、申立人に対し、それ以前の婚姻費用として、<1>長女聡子(昭和51年5月4日生)の小学校入学費用のうち50万円、<2>同人の中学校入学費用150万円及び<3>昭和62年1月から平成2年6月までの分、毎月50万円(合計2100万円)を支払え。

2  申立ての実情

(1)  申立人と相手方とは、昭和50年10月23日婚姻した夫婦であり、昭和51年5月4日長女聡子をもうけたが、昭和53年9月から別居生活をしている。

(2)  相手方は、医師で充分な収入があるが、申立人は、収入がない。

(3)  相手方は申立人に対し、昭和61年12月までは不十分ながら生活費(長女の養育費を含む。)送金していたが、昭和62年1月以降全く送金しなくなった。

(4)  なお、長女が昭和58年4月に○○○○大学付属○○小学校に入学した際、入学金等の費用151万円のうち約3分の2を負担しただけで、残りの50万円を負担せず、また、平成元年4月に同大学付属中学校に入学した際、入学金等の費用150万円についても負担しない。

(5)  よって、申立ての趣旨のとおりの審判を求める。

第2当裁判所の判断

1  記録によれば、以下の事実を認めることができる。

(1)  申立人(昭和21年8月19日生)は、○○○○大学○○○学科1部(数学専攻)を卒業後、ニューヨーク州立○○大学○○○○○○○○科に入学して卒業し、アメリカで就職していた。

相手方(昭和21年5月24日生)は、昭和46年3月○○医科大学を卒業し、同年7月医師資格を取得し、○○○○医科大学外科に研修医として在籍し、昭和48年4月から昭和53年7月まで○○△△大学医学部外科学教室に所属し、その間の昭和48年4月から昭和49年6月まで○○○○病院に勤務した後、昭和53年9月から栃本県真岡市所在の○○○○○病院に勤務したうえ、昭和56年12月頃から肩書住所地に○○外科胃腸科医院(以下「相手方医院」という。)を開業して今日にいたっている(相手方は、その後、自己を理事長とする医療法人○○会を設立し、以後、同法人をもって相手方医院の経営を続けているが、同法人は実質的には相手方個人の支配する法人で、前後を通じ相手方医院の経営の実態に変更はない。)。

(2)  申立人は、昭和48年12月父佐藤清の病気見舞いのため帰国し、同月21日父が入院していた○○○○病院で、父の主治医であった相手方と知り合い、交際の後、昭和49年6月13日婚約し、昭和50年10月23日婚姻届を出し、翌年5月4日長女聡子をもうけた。

申立人と相手方は、昭和49年7月から申立人の肩書住所地所在の申立人の母佐藤康子所有の家屋に、同母とともに同居し、以来、二人だけの生活をしたのは、昭和50年12月中旬から翌年3月まで相手方が賃借した横浜市中区○○○所在のマンションでの生活だけで、昭和53年8月末まで申立人の母方で同母と同居していた。

(3)  相手方は、上記の栃木県真岡市所在の○○○○○病院に勤務するようになった際、申立人が転居に好意的ではなかったことから、さほど強く転居を勧めることもなく、単身で赴任した。

申立人は、その母方に長女及び母とともに残り、それ以来今日まで、申立人と相手方は、別居を続けており、申立人の方から、相手方の居住地に訪ねたことは一度もない。

(4)  相手方は、昭和54年7月に手紙で、申立人に対し、互いの性格、生き方の相違等を挙げて、婚姻を継続する意思のないことを伝え、同年10月頃からは群馬県在住の相手方の父の知人に依頼して、申立人との離婚の交渉に当たらせた。しかし、申立人が離婚に応じなかったため、相手方は、昭和54年の末になって、横浜家庭裁判所に離婚を求める旨の家事調停の申立てをしたが、これも昭和57年に不調となった。

その後も双方の間で離婚の交渉はされていたが、話合いがつかなかったので、相手方は、平成2年4月25日申立人を被告として、横浜地方裁判所に離婚訴訟を提起した。同裁判所は、平成4年2月19日同訴訟につき判決をしたが、同判決は、申立人と相手方との夫婦には、その婚姻を継続しがたい重大な事由があるとして、離婚請求を認容したうえ、長女の親権者を申立人とするとの判断を示した。この判決に対し、不服の申立人は控訴し、同訴訟は現在東京高等裁判所に係属している。

(5)  相手方は、申立人と別居後、申立人に対し、<1>申立人及び長女の生活費等婚姻費用の分担金として、昭和53年9月から昭和54年8月まで毎月22万円ずつ、同年9月に18万円、同年10月から昭和61年12月まで毎月概ね15万円を送金し、<2>また、長女が昭和58年4月○○○○大学付属○○小学校に入学した際には入学金等の所要費用合計約151万円のうち100万円を送金した。しかし、昭和62年1月以降は毎月の送金を停止し、長女が平成元年4月○○○○大学付属中学校に入学した際の入学金等の所要費用合計約150万円は負担していない。

なお、当裁判所は、平成3年3月19日本件の保全処分として「相手方は申立人に対し平成3年3月から本案審判の効力が生じるまでの間毎月末日限り金30万円支払え。」との仮処分命令(以下「本件仮処分」という。)を発し、相手方は、これを履行しているが、この履行のほかに、平成4年になって、申立人及び長女の強い要求により、任意に、長女の高等学校入学に伴う学校関係の費用等を始め、洋服代、小遣い等を併せて、約280万円を負担しあるいは支払っている。

(6)  相手方は、昭和56年3月27日群馬県佐波群○○町大字○○○字○○○364番1宅地463.77平方メートル、同所364番2宅地453.97平方メートル、同所364番3畑(現況宅地)1122平方メートル(登記簿上は、昭和60年5月30日取得となっている。)、同所365番1宅地846平方メートル、同所365番2宅地1064平方メートルを取得し、同地上に、同年12月5日鉄筋コンクリート造陸屋根2階建診療所1階529.24平方メートル2階546.81平方メートル(同所365番地2所在。平成3年になって、同建物は全面的な改築及び増築がされた。現在の建物登記簿上は、同建物が次のとおり変更登記されている。平成3年11月25日構造変更増築により、所在が同所365番地2及び365番地1と、構造が3階建と、床面積が1階1021.36平方メートル2階998.73平方メートル3階13.95平方メートルとされた。)、付属建物コンクリートブロック造陸屋根平屋建ボイラー室17平方メートルを建築し、あるいは、建物敷地以外の部分に、来客の駐車場を作り、そこで、相手方医院を開業し、その院長をしている。相手方医院には、相手方のほか、相手方の父が副医院長として内科を担当し、看護婦及び事務職員等26名が勤務している。なお、相手方は、平成3年ないしは平成4年中に医療法人○○会に対し上記診療所及びボイラー室(病院建物)を譲渡した。

(7)  相手方は、昭和60年11月南魚沼郡湯沢町大字○○字○○○×××番地××○○○○○○○×号館8階部分46.52平方メートルの別荘を取得している。

(8)  相手方の収入は、税務申告上、昭和62年中は、給与所得金額63万5400円、事業所得金額2881万2054円、その他の所得金額78万5400円、総合所得金額の合計3023万2854円、昭和63年中は、給与所得金額32万9700円、事業所得金額3610万1448円、その他の所得金額2万円、総合所得金額の合計3645万1148円、平成元年中は、事業所得金額のみで3313万4044円、平成2年中については、事業所得金額1782万7871円のほかは、記録中に資料がなく、平成3年中は、不動産所得金額564万6869円、給与所得金額1056万5854円、その他の所得金額8万9500円、総合所得金額の合計1630万2223円、他に長期譲渡所得金額3772万5512円である。また、平成4年1月から6月までの間に、相手方が医療法人○○会から得た手取り収入額は月額約80万円である。(その間、他の病院等で働いていたことは推認できるものの、それらの病院等の名称及びそこから得た収入についてはこれを証するに足る資料はない。)。

このうち、給与所得金額及び事業所得金額は、医師としての収入であり、昭和62年、昭和63年、平成元年及び平成2年中については、事業所得金額は相手方医院での収入によるもの、給与所得金額は他の病院等での収入によるものであり、平成3年については、給与所得金額は相手方医院(医療法人○○会から受けた分)及び他の病院等での収入によるものである。また、平成3年中の長期譲渡所得金額は、相手方所有の診療所等を医療法人○○会に譲渡したことによるものである。

なお、相手方は、相手方医院の新設、その建物の新築等に伴い、多額の負債を負っている。また、医療法人○○会については、その経理は現在のところ、資産は負債超過で、損益は欠損を計上している。

(9)  申立人は、相手方と婚姻後、職に就いたことはなく、ほんの一時、アルバイト程度のことをしたことはあるが、取り上げるべき収入はない。ただし、平成3年に、給与の収入金額117万5000円(その給与所得金額52万5000円)を得た旨の税務申告をしており、この金額からある程度の必要費の控除を考慮した60万円は少なくとも生活費に当てうるものとするべきである。

相手方との別居後は、相手方からの上記送金と母からの援助等をもって、相手方からの送金が途絶えた後は、申立人の父の遺産の株式の売却金及び母からの援助等をもって、自己及び長女の生活費(教育費も含む。)に充ててきた。

長女は、上記中学校を卒業して、平成4年4月○○○○大学付属高等学校に入学し、大学入学を目指して正規の授業のほか、塾、予備校等に通い、また、習字、音楽、テニス等いわゆるお稽古ごとにも手を出している。これはいずれもかなりの費用を要し、その額は、平成2年当時(中学校在学当時)毎月平均19万円であったが、高等学校に入学してからは毎月平均20万円を超えるにいたっている。

2  婚姻費用の分担額について、検討する。

(1)  まず、申立人と相手方とは、婚姻してから約3年間は同居したもののそれ以降現在までおよそ14年間別居しており、その間どちらからも積極的に同居を求めず、その別居は少なくとも相手方が送金を中止した昭和62年の初めには既に固定化し、両者の性格の相違も相まって、その婚姻関係はどちらかの一方を有責とするだけの資料はないものの破綻状態にいたっていたものというべきである。そして、もはや円満な婚姻関係の回復は不可能であり、相手方の請求による離婚訴訟で、第一審の判決ではあるが、離婚請求が認容されており、当裁判所としても、この判断は正当なもので、上級審でも維持されるものと考える。

(2)  相手方は、病院経営を行っているところ、かなり多くの不動産を所有し、また、税務申告によるとかなり高額の所得を有するが、他方、負債額も相当多額に及ぶなどの事情から、右の所得の額をそのまま生活費とすることができない。すなわち、税務申告による所得は、各年とも、相当に高額というべきであるが、そのかなりの部分が、相手方医院の新設、その建物の新築等に伴う負債の返済に充てられており、生活費に充て得る額はそれほどあるとはいえない。また、平成3年中の長期譲渡所得金額は、その大部分は上記負債の返済に充てられている。しかし、他面、この種経営によって得られる収入は、かなり弾力性があることは周知の事実であり、ある程度の範囲では、必要に応じた支出を可能にし得るという面があることもまた否定できない。

(3)  そこで、税務申告上の所得ほか、記録に現れた、相手方の職業、生活状況、資産の取得状況、保有する資産、負債の状況等を勘案すると、相手方のいわゆる実収入は、その職業上の必要費の控除を考慮にいれれば、平成4年において、概ね毎月80万円を下回ることはないものと考えられる。この額は、相手方が同年1月から6月までの間に、医療法人○○会から得た1か月当たりの手取り収入の額と同額であるが、相手方がその間も他の病院等で働いていると推認されること(上記の1の(8))を考えると、その間の相手方の、職業上の必要費を控除した後の実収入を80万円を下回るものではないとしても差し支えないと考える。しかしまた、右の実収入がこれを超えることを確認するに足りる資料もない。

その前の時期の、職業上の必要費を控除した後の実収入については、税務申告上の所得をそのまま使えないとすると、上記の平成4年の右の実収入を基に、物価の上昇、相手方医院の定着度及び相手方の医師としての経験年数の増加等を考慮して推認しうる、昭和62年から平成4年までの毎年5パーセントの右の実収入の上昇率をもって算出するのが相当というべきである。そうすると、毎月の右の実収入は、昭和62年は62万7000円、昭和63年は65万8000円、平成元年は69万1000円、平成2年は72万6000円、平成3年は76万2000円であるとすべきである。

(4)  そこで、婚姻費用の分担額について考えるに、一応参考のため、上記(3)の実収入の金額(ただし、上記1の(9)のとおり、平成3年については申立人に生活費に充てることのできる収入が60万円〔収入を得た月が不明なので月5万円とする。〕あったので、それを考慮にいれる。)を基礎に財団法人労働科学研究所が調査発表した総合消費単位に基づいて按分して、相手方が申立人に対し負担すべき1か月当たりの生活費を算出すると(総合消費単位は、相手方につき105、単身世帯加算20、申立人につき80、長女につき、昭和62年1月から平成元年3月まで60(小学5、6年生)、同年4月から平成4年3月まで80(中学生)、同年4月から90(高校生)として計算する。)、次のとおりとなる。

<1> 昭和62年1月から12月まで 33万1245円

<2> 昭和63年1月から12月まで 34万7623円

<3> 平成元年1月から3月まで   36万5057円

<4> 平成元年4月から12月まで  38万7930円

<5> 平成2年1月から12月まで  40万7579円

<6> 平成3年1月から12月まで  37万7789円

(5万円減額)

<7> 平成4年1月から3月まで   44万9123円

<8> 平成4年4月から12月まで  46万1017円

(5)  思うに、法律上の婚姻関係が継続している以上、婚姻関係が破綻しているからといって、そのことだけで、一方が他方の婚姻費用を負担することを要しないとはいえないが、本件のように、婚姻後約3年間同居しただけで以後十数年にわたり別居して、婚姻関係は回復不可能な状態に立ちいたった場合には、その状態になったことについて、婚姻費用を分担する側の当事者にもっぱら責任があるときは格別、そうでなければ、婚姻費用の分担に当たって、社会的に見て相当と認められるだけの婚姻費用を分担している限り、常に必ずしも自己とまったく同一の生活を保持するに足りるだけの婚姻費用を分担しなければならないものではない。上記(4)のいわゆる労研方式による生活費按分の試算は、基本的には同一生活保持を前提とする方式で、以上の見地から、本件ではこれをそのまま採用するのは相当ではない。

(6)  そこで、上記(4)の計算も参考にし、昭和61年末まで相手方が申立人に支払ってきた分担額その他本件に現れた一切の事情も考慮にいれて、相手方が申立人に対し負担すべき婚姻費用の額を考えると、次のとおりである。

すなわち、相手方は、申立人に対し、平成4年4月1日から離婚(又は別居状態の解消)が確定するまでは、毎月35万円の婚姻費用の分担をするのが相当というべきである。申立人は、相手方の職業、資産、収入等に照らし、右金額は不十分であるというであろうが、申立人の要求するところは、婚姻関係が円満な状態にあるときにおいて、しかも、かなりの贅沢な生活を前提とするものであり、到底採用することができない。そもそも、先に認定した、長女の教育費等の額は相当に過大というべきものであり、記録によると、相手方は、右の教育費等の支出についてそれを是認していたこともあったが、現在はかえって長女のためにならないとして縮減を求めており、当裁判所としても、先に判断した分担額を前提として、合理的な生活設計をし、必要な範囲で右の教育費等の支出を縮減するのが相当と考える。

また、その前の時期の婚姻費用の分担額については、本件申立て(平成2年7月11日受付)前の分も含めて、申立人が求めている昭和62年1月以降の婚姻費用額を確定するのが相当であり、その額は、昭和62年1月から平成元年3月までは毎月20万円、同年4月から平成2年12月までは毎月25万円、平成3年1月から平成4年3月までは毎月30万円(ただし、平成3年1月から12月までの分については、上記の、その間に申立人が得た収入を勘案して、月当たり3万円年間合計36万円を減額する。)が相当と解される。

3  以上により、婚姻費用の分担金として、相手方は、申立人に対し、昭和62年1月1日から平成元年3月31日まで月額20万円、同年4月1日から平成2年12月31日まで月額25万円、平成3年1月1日から同年12月31日まで月額27万円、平成4年1月1日から同年3月31日まで月額30万円、同年4月1日から離婚(又は別居状態の解消)が確定するまで月額35万円を支払うべきものと定めることとする。

第3結論

そうすると、相手方は、申立人に対し、昭和62年1月1日から平成4年10月31日までの分として1724万円(昭和62年1月1日から平成元年3月31日まで月額20万円の合計540万円、同年4月1日から平成2年12月31日まで月額25万円の合計525万円、平成3年1月1日から同年12月31日まで月額27万円の合計324万円、平成4年1月1日から同年3月31日まで月額30万円の合計90万円、同年4月1日から同年10月31日まで月額35万円の合計245万円の総合計)及び平成4年11月1日から離婚(又は別居状態の解消)が確定するまで月額35万円を支払うべきものである。

よって、主文のとおり審判する。

(家事審判官 鈴本康之)

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